生きる価値ねぇ…
ある程度長く生きてると日々色んなことが起こります。
いやなことやしんどいことも沢山起こります。
人生の8割はその「イヤな事」で構成されていると言っても過言ではありません。
今の時代の日本という国に生まれ、とりあえずは五体満足で住む家もある自分。
地球規模で見れば、これがどれほど恵まれたことなのか。
頭では分かっています。
ありがたいことに、視力や聴力があって、手足が動きます。
美しい景色を見る。
好きな音楽を聴く。
映画を観に行く。
車を運転して、好きなところへ行ける。
何でも自由にできます。
寝ている所を突然爆撃されたり、銃撃されて死ぬ可能性もほぼゼロです。
蛇口からは24時間水が出て、好きなだけ使えます。
大切な存在も元気でいてくれ、遠くにいてもスマホ等でいつでも連絡が可能です。
私たちは本当に本当に、信じられないくらい恵まれています。
これだけ恵まれていても「しんどい。」と感じるのが生きるということなんですよね。
『自分には生きる価値がない。』
と病む人がたまにいます。
若い時ならそんな甘えたことも、気の済むまで言っていいと思います。
30歳越えてしばらくしたら、止めましょう。
価値がないと死ななきゃいけない訳ではないし。
(・ω・)
自分の価値を認めて欲しくて言ってんなら、
なんと自己顕示欲の強い人なんだ!!
と感じます。
私には価値がない。
と言ってる人は、自分の価値を常に認めろ、と周囲に強要しているように感じます。
安心してください。
他人に価値があるかないか、誰も気にしていないし、興味ありません。
ただ、私は水道管が破裂しても直せないし、車を作ることもできません。
家を建てることも、一人ではできません。
水道を管理し、家を建て、食物を作り、それを運搬してくれる人たちがいるおかげで今の幸せがあります。
その中の、誰か一人や二人欠けても代わりはいるでしょう。
が、誰か代わりがいるという理由で全員がいなくなれば、何もできなくなります。
そういうバランスで世の中成り立っているので、自分個人の価値などは考える必要ありません。
ちなみに『おもしろきことのなき世』を私が生きているのはですね。
単におもしろきこともあるから。
だけではなくて。
私がいなくなったり、不幸になったら喜ぶ奴を喜ばせたくないから。
v( ̄ー ̄)v
も、あります。
理由は何であれ、私を嫌いな人や私の大切な人々を嫌いだったり、逆恨みしている人は必ずいますからね。
そんな奴らを喜ばせてたまるか。
(  ̄ー ̄)
というのも、いやなことがあった時の起爆剤として役に立っています。
愛に溢れていてもいなくても、どっちでもいいんです。
いやなことが続いても、あと50年ほど。
永遠じゃないんだから、それくらいは我慢できるよね♪
たかだか50年ですよ。
私はどん底の気分の時はそう思って数年やり過ごしましたが、今となってはその感情も忘れたな……。